RK

目的と手段

<「手段が目的になっている」とはどのような状態か>

 「手段が目的になっている」という文を見たことがあったり、人に言われた、または逆に人に言ったことがある方がいるかと思います。

 「手段が目的になっている」がどういうことなのか、抜け出したい場合はどうしたらよいかを考えてまとめました。

 

<目的と手段の定義>

 まず、目的と手段とは何かを明確にしようと思います、ここでは目的と手段を以下に定義します。

目的:達成すべき状況

手段:目的へ到達する行動

 例として「部屋に蚊がいるので除去したい」という状況を考えてみます。この例での目的と手段はザックリ言うと以下になります。

目的:蚊の除去

手段:蚊を手で叩き潰す

 他にも手段があるのではないかという考えもありますが、後日「手段の選択」という内容で書きたいと思いますので、ここでは一旦上記とします。

 

<「手段が目的に」変化する>

 しかし、前節の例で目的とした「蚊の除去」が達成されたとしても、日常生活では「それで終わり」ではありません。蚊の除去という目的を達成した先に、さらに別の目的があるはずです。例えば「寝たい」ということが考えられます。

 すると「寝たいが蚊がいるために気になって眠れないので蚊を除去したい」という状況に変わり、目的と手段は以下に変化します。

目的:寝る

手段:蚊の除去

 このように、初めの例では目的であった「蚊の除去」が手段となります。ある目的は、次の目的のための手段に変化するということです。さらには「翌日に会社へ出社するために寝たい」「仕事をするために会社へ行く」「給料をもらうために仕事をする」と考えていけば、次から次へと目的が手段に変化します。

 

<「手段が目的に」変化する>

 逆も同様です。蚊を手で叩き潰すには蚊を探す必要があります。すると目的と手段は以下に変化します。

目的:蚊を手で叩き潰す

手段:蚊を探す。

 手段であった「蚊を手で叩き潰す」が目的となります。ある手段はそれ以前の段階の目的に変化するということです。「蚊を探すためにあちらこちらを見る」「見るために顔または目を動かす」といった具合に、同じく次から次へと手段が目的に変化します。

 

<見るスケールを変えれば「目的が手段に」「手段が目的に」変化する>

 目的と手段というのは、人の動作のスケール(見るために顔または目を動かす)、日々の過ごし方のスケール(翌日に会社へ出社するために寝たい)、生きる糧を得るためのスケール(給料をもらうために仕事をする)などで、置き換わります。

 このように、ある段階では確かに目的と手段とは「目的がA」「手段がB」と区別されますが、段階やスケールを変えると「目的は手段に」「手段は目的に」変化します。

 

<「手段が目的となっている」とは次のような状態>

 さて、結局「手段が目的となっている」というのはどのような状況なのでしょうか。先から例としている「部屋に蚊がいるので除去したい」という状況で考えてみます。

 繰り返しになりますが、目的と手段は以下になります。

目的:蚊の除去

手段:蚊を手で叩き潰す

 ここで「手段が目的となっている」というのは、上記の状態から以下の目的と手段になってしまっていることを指します。

目的:自己の欲求が満たされるまで手段を行使する or 目標自体を設定していない

 (=次の目的につながらない)

手段:蚊を手で叩き潰す

 極端に言えば「部屋の蚊を全て潰しても飽き足らず、廊下、風呂場、玄関まで出向き蚊を叩き潰す。挙句の果てには家から出て草むらに出向き、延々と蚊を叩き潰す」といったことです。次の目的を失い、現時点の目的が変わってしまったために生産性の低い行為を繰り返し行い、次へと進まなくなった状態が「手段が目的となっている」だと考えています。

 

<「手段が目的となっている」から抜け出す>

 対処方法自体は目的の再設定を行えば良いだけです。つまり、次の目的へつながる現時点の目的、現在の手段で本来達成したかった目的を思い出して再設定します。それにより、単なる手段の繰り返しから抜け出すことができます。

 

<上記が難しいケース>

 前節の対処を実施するのがとても難しい場合があります。

 それは、自己の欲求が満たされるまで手段を行使をしていることや目標を失っていること認めたくないという心理が働いてしまう時です。この場合、その事実を認める、認めさせる必要がありますが、いくら客観的な事実や正論を提示しても、それ自体を否定・拒否するため、再設定を行えません。

 これは、説得の方法の域に入り込むので、後日まとめたら書きたいと思います。

 

v 1.1 / 20180809